Blog
【ブログ】

BCL代表ブログ
Dec 26

今年を何とか終えることができた。 
6球団で開幕を遅らせ、東京電力、東北電力管内の2球団は開幕当初、
可能な限りナイターを自粛し、振替試合を平日のディゲームで行った。
4月〜6月にかけては観客動員が前年の6割まで落ち込んだ。
5月の平日でのディゲーム、閑散としたスタンドを見ながら、
「本当にこのままナイターが出来なかったら・・・・」
かなりの危機感があったのだが、前期の終盤戦になると、前年と同等の観客数に
戻ってきた。
後期に入ってからは昨年を上回るお客様からお越しいただいた。

そして、端保社長率いる石川ミリオンスターズが初めて四国の壁を越えた。
私の著書にも度々登場する彼が、独立リーグ日本一祝勝会の壇上、
あのときは、4000人の前で、2人で抱き合って号泣してしまった
(ちなみにそのとき開幕戦の第一球を投じ、且つその5年後、
日本一の胴上げ投手となったのが、佐藤広樹だ)。
「いままで一番心配させて、苦労をかけた家族・・・・」と言ったところで
言葉が詰まったこところが端保社長らしい。
彼の所にはいつでも人が集まるのもうなずける。

そして、ファンの皆さんと貴重な意見交換を行うことができた。
以前、私がブログで徳島での汚い野次について書いた内容について、
これまで数々のご意見を頂いたが、出席いただいたファンの皆様とも
意見交換させていただいた。
その話し合いの中で、私の書いた内容で、一部のファンの皆さんが
深く傷ついたことを知った。
それは、汚い野次を言ったファンが、石川のファンだと決め付けてしまったことだ。
この表現は間違いだった。誰が、どんな言葉を発したのか分からずに書いたことは
軽率だった。
私は日々、様々な意見や要望を頂戴するが、石川のファンの皆様ともこのこと以外に
貴重なご意見を頂いた。彼らとはキチンと名刺を交換した上で、しっかりと彼らの思いを受け止めることが出来たことが収穫だった。
端保社長が目指す、「日本で一番きれいな野球」の実現に向けてお互いに
協力いただけることを約束した。

信濃と富山のファンにとっては苦しい1年だったに違いない。
前期の富山、そして後期の信濃。両球団とも優勝をほぼ手中にしながら、
最後の最後で手のひらからこぼれ落ちた。
9月の中野球場での試合終了後、ある少年が竜太郎に一生懸命お願いしていた。
「僕たちを四国に連れて行って!」
「よし、必ず連れて行ってあげるからな。
お父さんとお母さんと一緒に四国に行こうな!」
少年の願いを叶える為に、信濃の挑戦は続く。

福井は良くも悪くも織田の1年だった。
前期は、新戦力を捕手に据えて育成を図ったが簡単にフィットせずチームは苦しんだ。
勝利と育成を両立しなければならないチームの宿命を福井球団の指導者と
スタッフそして選手達は痛感した。苦しんだ分、正捕手が定位置についた後期からは
快進撃が始まった。
センターラインの守備が昨年とは比較できないほどレベルアップしたのは、
地味に指導を続けてきた野田監督の功績だ。
しかし、唯一経験の差で北陸王者を逃した。
来季、新体制での再挑戦に期待したい。

群馬にとっても苦しい1年だった。前期の終盤、レギュラー5人が怪我で
離脱したときから苦悩が始まった。コーチの青木を支配下に置いて急場を凌いだが、
そのつけが、後期とチャンピオンシップに来た。
しかも指導力では定評ある秦監督が、清水と聖哉をNPBに送り込んでから本人も
新しいユニフォームに袖を通す。監督とトレーニングコーチがNPBに引き抜かれた群馬はゼロからの再出発になる。

最大の収穫があった。石川が四国に勝ったことも嬉しい。
指導者を含めて9人をNPBに送り込んだことも嬉しい。
それとは比較にならないほど嬉しかった事。それは富山と新潟で聞いた話だ。
両県のある高校野球の指導者からコメントを頂いた。
新潟は私が、富山は進藤監督が聞いたのだが、
「今のBCリーグは高校球児のお手本になれる」
夢のような話だった。
イニング間の全力疾走は勿論、基本に忠実な守備や走塁は身近な野球として
非常に参考になることが多く、しかも彼らが夢を叶えようとする姿勢や気持ちが
プレーに現れていると評価を頂いたのだ。

開幕してから5年。忘れもしない2007年8月26日、城光寺での新潟対富山戦。
試合時間4時間15分、8回日没コールド、26対15、四死球23、失策6、暴投4、
信じられないかもしれないがこれが現実だった。
それだけではない。選手は長髪を染め、あごに無精ひげをのばし、
グランドに唾を吐き、内野ゴロを歩くように走る選手達もいた。
初年度の試合を見て、「もう2度と球場へは来ない」と怒って帰った知り合いは
2人や3人ではなかった。

私たちはゼロからこのリーグを創った。
5年目で、まだ魅力のある野球をお見せできているとは思っていないが、
この方からのコメントはBCリーグの方向性を示すものだ。
限られたギリギリの予算と選手、コーチ、スタッフで出来る最大の要素は、
「地域と地域の子供達のお手本となる野球」を実現することこそBCリーグの使命だ。 

1年間、本当にありがとうございました。 

Dec 01

3週連続の合同トライアウトが終了した。
今年も200名を越える応募があり、グラウンドは活気に溢れていた。

毎回の事だが、各首脳陣はその選手の中から「原石」を見出す。
今年も数名の原石がいた。50メートル5,9秒、
遠投で120メートル付近まで投げた県立高校3年生。
抜群の内野守備センスを披露した定時制に通う学生。

NPBのスカウト網からはみ出したが、
可能性を大いに感じさせる名もなき選手達に出会い、
5年前の西武ドームでの第一回を思い出した。

運営側のタイムマネージメントがうまく行かず、
日曜日の10時から21時近くまでトライアウトを行った。
底冷えのする西武ドームだったが、2遊間の守備テストを見た時に
受けた衝撃は今でも鮮明に覚えている。

山出、泰楽、内村、優士、等々。
彼らの守備力は私たちの想像を上回る程のレベルだった。
内村と泰楽はその中でもずば抜けていて(ウッチィは当たり前だ!)、
2人だけが最高評価だった。

彼らがどの球団から指名を受け、BCリーグでの挑戦が始まるのか。
12月9日、金沢で決定する。

Nov 04

昨年12月、橋上監督就任パーティーで、出席者の前で私は断言した。
「この監督は、必ず1年でいなくなる。たった1年という短い期間で、
新潟がどれだけ彼から吸収できるかが勝負だ」。
出席者からは、「代表が言うと本当になりそうでこわいですね」と
言われたが、この結果は充分に予測できた。
そして現実のものとなってしまった。

今年は、新潟と群馬の試合が一番見ていて面白かった。
1アウトランナー3塁で平気でエンドランを仕掛ける。
1塁ランナーが意識して挟まれて3塁ランナーが帰る。
ヒットが出なくても1点をもぎ取る作戦を熟知した指揮官同士の采配は
レベルが高く、見ごたえがあった。
ヤクルト時代にポジションを争った2人だからこそ、お互いに負ける
訳には行かなかったのであろう。

何より結果として選手が成長した。その成長の過程を多くの
NPB関係者が見つめていた。この指導者を放っておくわけがない。

就任当初より、橋上氏には特別なものを感じていた。
「野球人」としては勿論だが、それ以上に「ビジネスマン」として
高い資質を感じていた。だから私の中では、彼は「ビジネス界のライバル」
という位置づけなのだ。今後、彼が「ベースボールオペレーション」の世界で
どのような活躍をするか大変興味深い。

そして近い将来、彼がNPB1軍の指揮官として、
再び新潟に凱旋することを願って、彼を送り出そう。

チーム公式ウェブサイト

村山 哲二(むらやま てつじ)
プロフィール

1964年9月19日新潟県生まれ(満46歳)
新潟県柏崎市高柳町岡野町(旧高柳町)出身

高柳中学校野球部 県大会ベスト4
県立柏崎高等学校野球部 秋季大会ベスト4、夏季大会3回戦

駒沢大学北海道教養部 準硬式野球部主将
北海道大会優勝、全国大会出場

平成18年3月末まで、新潟県内の広告代理店に勤務。アルビレックス新潟の広告担当としてJ1昇格、優勝パレード、試合運営プロモーション等の作業を行い、プロスポーツを通じた地域の活性化を現場で体験する。
大学の先輩である石毛氏との出会いによって、野球事業の起業を決意した。
都合が許す限り、アウェイにも参戦するアルビレックス新潟のサポーターでもある。
平成18年7月、株式会社ジャパン・ベースボール・マーケティングを設立。