樋口選手へのインタビュー

2022年のNPB育成ドラフトで、中日ドラゴンズから3位で指名を受けた。
中日の育成選手の背番号は200番台で、樋口はその中でも一番大きい「213」を背負う。つまりNPB全プレーヤーの中でもっとも大きい背番号の選手だ。
だが早い段階から首脳陣に走力を評価され、練習試合では一軍に帯同し、オープン戦では代走での出場を果たした。
そして、2023年7月26日に支配下登録。7月28日、対読売ジャイアンツ9回表に代走で初出場。7月30日には同じく対読売ジャイアンツで1番・二塁手で先発出場を果たした。

※本インタビューは3月2日に行われた。
翌日に中日一軍は侍ジャパンとの壮行試合、二軍は教育リーグの開幕を控えていた。

社会人野球へ行くつもりだった

ー2021年から2年間、埼玉武蔵ヒートベアーズ(以下ヒートベアーズ)に在籍でしたね。BCリーグにやってきた経緯を教えてください

大学で監督に「NPBに行きたい」と相談したんです。すると「だったら社会人で2年やってみろ」と、社会人チームを紹介されました。
 練習にも参加したんですが、タイミングが悪かった。2020年、コロナ最初の年です。大会も軒並み中止、練習もままならない。
実戦がないぶん、選手の入れ替えも少なくて、結局のところ内定を貰えませんでした。

すると4年の夏に、コーチの方からヒートベアーズを紹介され、当時の角(晃多)監督に直接見ていただき、入団が決まりました。

全員がNPBを目指す集団だった

ー入ってみてどうでしたか

それまでBCリーグも埼玉武蔵も、名前を知っていた程度でした。
入団してみたら、選手の全員がNPBを目指している場所だったんでびっくりしました。
それもぼんやりとした「夢」ではなく、明確にドラフトで名前を呼ばれることを目標にやっていた。
野球に対する姿勢も、取組みも、何もかもがそれまでと違っていました。

BCリーグは「夢をあきらめる場所」ではない

ー樋口さんにとってBCリーグはどんな場所でしたか

よく言われる「夢をあきらめる場所」ではありませんでした。
自分にとっては「夢をつかむ最後の場所」です。
家族にもわがままを聞いてもらい、野球を続けさせてもらってましたから。
ここより後はない、と覚悟を決めて取り組む場所でした。

自分の長所を磨く

ーBCリーグを目指す選手たちにアドバイスを

NPBに行くなら、絶対的な武器をひとつ持つべきです。
走攻守三拍子揃っていなくても、守備がいい、肩が強い、長打が打てる、どれか一つでもいいから自分の強みを徹底的に磨く。
ぼくの場合はそれが走塁でした。
盗塁はもちろんですが、二塁からワンヒットで確実にホームに帰ってこられる走力と技術は、強烈なアピールになります。
何か一つ突き抜けたものがあれば、どこかのタイミングでチャンスはやってきます。

あとがき

2021年のNPBドラフトでは、調査書は来たものの指名はなし。
2022年もドラフト3日前まで調査書はゼロだった。

だがこの年、BCリーグは宮崎フェニックスリーグに初めて選手を送り込む。(IPBLの合同チーム)
樋口もその一員としてプレーし、中日と対戦。片岡篤史2軍監督の目にとまり、育成ドラフト3位で指名を受けた。

BCリーグにとってフェニックスリーグが初なら、そこで選手が「発見」されたのも初だった。
NPBに行くために「突き抜けた強み」を磨いた樋口は、最後にやってきたチャンスを自力でものにしたのである。

(文責:BCリーグ)

【樋口正修(ひぐち・せいしゅう】 1998年11月17日生まれ。埼玉県出身。内野手。右投左打。177cm・75kg。
北本高校から駿河台大学へ進学し、2020年ルートインBCリーグトライアウトに参加し、埼玉武蔵ヒートベアーズの特別合格選手として2021年に入団。
ルートインBCリーグでは俊足を武器に2年間で118試合に出場し、131安打、65盗塁、打率.296の成績を残した。

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